おじいさんとおじさんの葬儀の時に不思議な出来事がありました。
と、その前に身内がなくなるとき、虫の知らせがあると聞きますが、それは・・・あると思います。
というのも、おばあさんが亡くなった日、朝から体がだるくてなんか嫌な日だなって思っていたら、おばあさんが亡くなったと電話がありました。
また、おばあさんの妹さんも、おばあさんの足を洗っている夢を見て、いてもたってもいられなくて電話をしたら、ちょうどその時に亡くなったということがわかりました。
おばあさんは、亡くなる前に、家族や身内には真っ先に知らせたかったのだと思います。
本当に身内が亡くなることは寂しいです。
さて、おじいさんの葬儀の時にはこんなことあるの!と思うことがありました。
それは、私が高校1年生の冬でした。
ガンで1か月入院していたおじいさんが、夜中に亡くなったとの連絡があり、病院に亡き骸を引き取りに行き、当時は、自宅で葬儀を挙げることが多い地域でしたので、自宅で祭壇を作りお葬式を挙げました。
寒い冬の片田舎。
寝室とつながる部屋の障子を外し、30人くらいは入れる大広間にして、床の間に向かっておじいさんの亡き骸。
その前ではお坊さん。
おじいさんの最後を見届けに来てくれたたくさんの近所の方々。
ほんとうに愛されていたんだなっておじいさんをそのとき初めて尊敬の念でいっぱいになりました。
そして、お坊さんがお経を唱え始めると、祭壇の脇に来客用として積んであった人の背丈もある座布団が突然倒れたのです。
風もないし、静まり返って振動もない空間で突然。
でも、お坊さんをはじめ、私たち家族も、参列に来てくれた近所の方々も、おじいさんがそこにいると言いました。
目では見えないけれど、感じ取ることができたのです。
きっと、おじいさんは、心配するな、いつもそばにいて見守っていると言いに来てくれたん
です。
何だか、寂しい空気というよりも、安心感というか、悲しい雰囲気ではなかったことを覚えています。
落ち着いた優しさに包まれた空間。
その日以来、おじいさんの分まで頑張ろうと思っていますし、おじいさんに感謝しています。
もう一つの話は、おじさんが突然亡くなってしまった葬儀のとき。
糖尿病を患っていて、突然亡くなってしまいました。
寝たまま起きないで亡くなってしまったのです。
よく温泉に入りに行ったり、飲みに行ったりしていたので、今でも信じられません。
そんなおじさんの葬儀の日も寒い2月の冬真っただ中。
自宅で葬儀を挙げたのですが、ふすまを外して広くなった寝室に、おじさんの亡き骸を目の前にしながらお坊さんの唱えるお経を聞いていました。
お経を聞いていて、悲しんでいると、不思議と視線を感じたのです。
何だろうと、視線を感じる先に目を向けると、こちらを見ている季節外れの大きな蛾が私の左手側の壁の上部にとまっています。
その蛾は目がギョロっとしている感じがして、私を見た後に、おじさんの亡き骸をじっと見つめていました。
何で2月に5センチもある蛾がいるんだろうと思ったのですが、ふと直観的に感じたのが、おじさんが姿を変えて現れたのでは・・・
きっと、寝たまま亡くなったおじさんは、意味も分からず、この世から離れてしまって、自分の亡き骸を名残惜しんでいたのかもしれません。
私の方を見つめたのは、きっと頑張れと言ってくれていたのかもしれません。
身内の死は耐えられないくらい悲しいし、耐えられません。
でも、その悲しみを乗り越え、自分自身が大きくなり、そして人にやさしくならなければならないと思うのです。
かつておじいさんがみんなに愛されたように私自身が愛されるような人間にならなくてならないと思うのです。
いつかは私たちも息絶えます。
でも、たくさんの人たちにやさしくしたり、役に立ったりして後世の人たちが受け継いでくれたら幸いです。
身内の葬儀を通じて不思議な体験をしましたが、いつもおじいさんやおじさんが見守ってくれているので心強いです!