アライズム

湯西川温泉にある平家の里は平家落人の歴史と生きざまの見える観光名所

日光を通過し鬼怒川温泉を超え走ること1時間余り。

深い山間の中に突如として現れる湯西川温泉。

その湯西川温泉の中に平家の里があります。

平家の里は、平家の歴史と、源氏に敗れ落人としてこの湯西川の地に逃げ延びながらも、力強く生き抜いた人々の歴史に触れることができる観光名所です。

源氏からの追手から逃れ、湯西川の地に身を隠しながらも生き延びたこの地での生活様式や伝説を保存するため復元された集落が平家の里というわけです。

 

平家一族は「平家にあらずんば人にあらず」という言葉通り栄華を極めていたわけですが、源氏に壇ノ浦の戦いに敗れ、残った一部の一族は湯西川から東にある高原山に身を隠しました。そんな中、一族に男の子ができ出産。みんなよろこび、端午の節句には鯉のぼりを立てました。ところが、源氏に見つかってしまい、湯西川に逃げ延びたという言い伝えがあります。

以来、湯西川では、鯉のぼりを揚げない、ニワトリは飼わない、焚火はしないなどの風習が残っているそうです。

平家の里の入園料は、平成30年時点で510円ですが、園内には、かやぶき屋根の資料館や神社、お休み処があってゆっくりと見学すれば1時間以上かかります。

 

しかも、周囲は深い山々。花も咲き、大自然のきれいな空気を体一杯吸いながら周辺の原生林を眺めれば、当時にタイムスリップしたかのような錯覚さえ覚えます。自然を慈しみ、自然に生かされているんだなって感じます。

 

平家の里の園内中心部には小川が流れ、池や庭園もあり、その小川や庭園の周囲にぐるっと回る感じでかやぶき屋根の資料館などが立ち並んでいるとても綺麗に整備されている造りです。職員の方々が草むしりをしている姿もありました。

 

駐車場に車を置き、大きな門をくぐり、入園料を納めると、もうそこはいにしえの時代にタイムスリップ。

原生林と苔が映画「もののけ姫」を彷彿とさせます。

 

木漏れ日に映える木々の葉っぱや、地面の苔がきれいな緑です。

 

では、順番に廻った見どころをご紹介。

 

調度営みどころ(ちょうどいとなみどころ)

湯西川の民芸品である木杓子の加工工程の紹介や木杓子づくりに必要な道具、生活道具などが展示されています。

かつて平家の落人がこの地を安住の地として移り住み、生計を立てるために豊富なブナの木を加工した木杓子は産業となりこの地を潤しました。

木杓子は木の香りが漂う素朴なものだったようですが、一生懸命生き抜こうという人々の気持ちが伝わってくるような気がします。

山深く、冬は雪で覆われる湯西川の地ですが、豊富な木を加工して産業を作り上げる先人の知恵には頭が上がりませんね。

今生きている自分たちの時代は、周りを見渡せば大体のものが手に入ります。わがままだって聞いてもらえることもあります。でも、開拓精神は忘れてはいけないような気がしました・・・

 

床しどころ(ゆかしどころ)

平清盛が入道になった姿の像と平敦盛が一の谷に出陣する姿の像、そのほかに鎧や弓などの武具、平家の系統図などを見ることができます。

パンフレットより

平清盛は、当時、武士としては初めての太政大臣に命じられたり、日宋貿易によって財を成したり、宋のお金を日本国内に流通させて通貨経済の基礎を作ったりして、日本初の武家政権を打ち立てたことは歴史で学習したことがあると思います。

平清盛は経済の発展のみならず、芸術や文化の発展にも力を注ぎました。

清盛は平家の全盛期を作り出しましたが、清盛の死後は衰退していき、壇ノ浦の戦いで敗れ、平家は追われることとなったのです。

 

平敦盛は、平清盛の弟の平経盛の末っ子でした。

16、7歳のとても美少年だったそうです。また笛の名手でもあり、祖父の平忠盛が鳥羽天皇から賜った笛を譲り受けました。

平敦盛は、源義経も登場する一ノ谷の戦いで熊谷直実に首を取られてしまいました。

その一の谷の戦いではこんなエピソードがあったそうです。

一ノ谷の戦いで源氏の奇襲を受け劣勢になっていた中、騎馬で海上の船に逃げようとしたとき、義経の奇襲部隊の一員であった熊谷直実が「敵に背を見せるのは卑怯ではありませんか。戻ってきなさい。」と叫び、引き返してきた敦盛を馬から落とし押さえつけ首を取ろうと兜をはがすと、自分の息子と同い年の16、7の美少年であることに驚いて、「首を取ることはできない、助けてやりたい」と躊躇。直実は敦盛を助けようと、名前を聞くが、敦盛は「お前にとっては良い敵だ。名乗らなくてもこの首を取って人に尋ねればわかるはずだ。すみやかに首を取れ」と言われ、直実は涙ながらに敦盛の首を取ったそうです。

その後、直実は、敦盛が持っていた笛を敦盛の父である平経盛のもとへ送ったそうです。

直実は、弓矢の名手であったが、平敦盛の首を取った後、弓矢を取る虚しさから仏門に入り、敦盛を悼んだそうです。

 

今では、平家の里と源頼朝の会は和睦を完了しているようですね。

歴史は続いている・・・

 

 

平家の伝説も日本各地にあります。

 

よろず贖いどころ(よろずあがないどころ)

湯西川で作られた野菜や甘味を楽しめます。オススメは栃もち、おしるこ、そばがき。

お土産として、葉とうがらし、もろみ漬け、花豆、ワサビも。

 

種々伝えどころ(くさぐさつたえどころ)

湯西川に伝わる伝統芸能や民話等の伝承に活用される伝習館です。

平家の里で一番大きく、その大きさにびっくりしました!

 

お休みどころ

イスとテーブルがあり、かやぶき屋根のもとでゆっくりと休憩ができます。

設置されているテレビモニターでは平家の里の四季や平家の祭りの様子を流していて、平家の里を把握するのにちょうど良いです。

クマやシカのはく製もあります。

 

湯西川赤間神宮

湯西川赤間神宮は安徳天皇の菩提寺である山口県下関市にある赤間神宮の分祠です。耳なし芳一の舞台でもあります。

安徳天皇は平清盛の娘である建礼門院の子供で、わずか8歳で生涯を終えた悲しい歴史があります。

源氏と平氏が合戦を重ねる中、壇ノ浦の戦いで平氏側が敗北になるとわかると、海上の船から、祖母である平清盛の妻(二位尼)に抱えられ飛び込み生涯を終えました。

安徳天皇の霊を祀るために建立された御影堂が明治維新での改名を経て赤間神宮となりました。

湯西川赤間神宮は昭和62年2月22日の平家の里完成に併せて分祠されました。

手水舎

バッタリ

そのほか、園内には、バッタリという、シシオドシのような原理で製粉や精米をする杵が動いています。水量が少ない地域では、豊富な流水で水車を回すことができず、少ない流水を有効的に活用するために作られたわけですが、水量が少ないが故にゆっくりと杵が臼をついていたためこのような名前が付いたようです。

 

平家塚

平家の武具、金銀財宝等が埋まっているという言い伝えがあるとか。とてもロマンがありますね。

 

記念写真はいかが。

夏の緑もきれいですが、紅葉の時期はとてもきれいだと思います。

 

平家の里

栃木県日光市湯西川温泉1042

TEL 0288-98-0126

4月~11月 8:30~17:00

12月~3月 9:00~16:30

観覧料 大人(高校生以上)510円

    小中学生     250円

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