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当たり前が当たり前であることに感謝

先日、当たり前が当たり前でなくなり、当たり前であることに感謝しました。

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なんだか、「トゲアリトゲナシ」という虫の名前みたいでややこしい感じですが、自宅の排水管が詰まり、通常通りに水を使うことができなくなって不便な思いをしたことから、当たり前って当たり前だから、いつも通りに使えることに何も思わないんだなって思って、何も心配なく使える当たり前に感謝をしたのです。

 

正直なところ、排水管が詰まって、雑排水が風呂やキッチンの排水口から上がってあふれてきたきたときはビックリしました。

 

普段何気なくお皿を洗った水や風呂のお湯、洗濯などの水を流している排水管ですが、長年使っていると、管の中に油や皮脂汚れなどが溜まってきます。(排水管の洗浄剤をたまに使っていたのですが・・・)

 

仕方のないことなのですが、排水管の中は見えない分、詰まり具合は確認できません。

 

そして、詰まって、雑排水が上がってきたときは、高圧洗浄をしないと流れてくれません。

 

しかも、詰まるということは、料理の際に使う水も洗濯の水も流すことができず、お風呂も入れないということにもなります。

 

水を流した分だけあふれてきてしまい、最悪の場合、浴室や流しのシンクを超えて床にまで水が来てしまう恐れもあります。

 

先日、排水管が詰まったことを発見できたのは、夕食の準備の際にキッチンの流しの水が流れなくて溜まってしまったからです。その際に、もしや!と思ってお風呂場も確認したら、排水口からあふれ出てきていました。

 

すぐに、不動産管理会社に電話をして、排水管内の詰まりを押し流すための高圧洗浄を施工してくれる業者を手配して頂きましたが、その日は水を流すとあふれてくるので皿洗いもできず、お風呂にも入れず、手もまともに洗えず不憫な思いをしました。

 

ただし、幸いにも、トイレは排水経路が違うので使うことができました。

 

当たり前に使えていた水が、使えない・・・

 

というか正確には水を流すとあふれてくる・・・

 

結果、水を使えないというのが正解です。

 

翌日の高圧洗浄が終わるまでは水を使わずしのぎましたが、こんなにも、水を使うことがありがたいことか!と実感しました。

 

普段、蛇口をひねれば水が出て、その水は当たり前のように排水口から流れていくため、水を使うことに対して何も思うことはなかったですが、この当たり前こそがなんとありがたいことか。

 

今は普通に水を使えることに感謝しています。

 

当たり前が当たり前じゃなくなったために実感した当たり前のありがたみ。

 

そして、当たり前に対する感謝。

 

身の回りにある当たり前は、当たり前であるがゆえに何も感じないことが多いですが、当たり前であるからこそ、この当たり前に感謝しなくてはいけないなって実感した今回の出来事でした。

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