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大切な人を亡くしたときに悲しくてしょうがない気持を背負いながら前を向く

大切な人を亡くしたときに悲しくてしょうがない気持を背負いながら前を向く

 

先日、義父を亡くしました。

 

大腸がんで7年の闘病。

 

よく頑張りました。

 

74歳でした。

 

早すぎます。

 

まだまだ私の奥さんと、義母と旅行に行く約束がたくさんあったのに。

 

残念で仕方がない。

 

悲しい。

 

そして、体中に走ったショックという衝撃。

 

もう、義父はいない。

 

話もできなければ、一緒に飲み交わすことも、笑いあうこともできない。

 

でも、私たち残された者は義父の分まで生きなくてはいけない。

 

もっと生きたくても生きることができなかった義父の分まで。

 

義父の思いを抱きながら。

 

生前、癌がステージ4と判明してから、一瞬一瞬を大事に生きていました。

 

毎月、夫婦で温泉旅行。

 

たまに私たち夫婦も同行。

 

運転が好きでハンドルは絶対に渡さない義父。

 

かっこよかった。

 

やさしくて、お節介も好きで。

 

義父の心意気、学ばせていただきました。

 

本当に感謝しています。

 

ありがとうございました!

 

でも、本当に癌が憎い。

 

この世から癌なんかなくなってしまえばいいのに。

 

そうは言っても、亡くなった義父は戻ってこない。

 

そして、亡くなった大切なおじいさん、おばあさん、おじさん、幼なじみの同級生、友人。

 

みんな大切な思い出と記憶と心の中で生きている。

 

今も大切なみんなに感謝しています。

 

天国へ届け!ありがとう!

 

ふと思う、大切な人が亡くなったとき、なんでこんなにも悲しいのだろうか。

 

義父の死は考えるきっかけにもなりました・・・

 

たぶん悲しい、寂しいと思うのは・・・、きっと・・・、

 

大切な人が亡くなるということは、もうそばにその人がいない

 

当たり前のようにいた人がもうそばにいない虚無感

 

目の前にあった肉体がいない、姿がない

 

会うことができない

 

同じ時間、同じ空間を共有できない

 

話も喧嘩も笑いあうこともできない

 

楽しさや悲しさ、怒りすら共感できない

 

話しかけても返事がこない

 

語り合うことができない

 

一緒に出掛けられない

 

一緒に食事ができない

 

今まで一緒にできたことができない

 

一緒に歌えない

 

相談もできない

 

・・・

 

でもやっぱり、一番の根底は、いつもそばにいた人がこの世に存在しない虚しさ・話しかけても返事が来ない寂しさが大切な人を失ったときの悲しさにつながるのではないかと感じます。

 

でも、悲しくても辛くても、受け入れなければならない。

 

そして、毎日を生きなくてはいけません。

 

大切な人は亡くなったとしても自分の心、記憶の中で生き続けてくれます。

 

姿は見えなくなってもきっとそばで見守ってくれています。

 

ですから、手元に写真を置き、いつでも会えるようにしておくことで寂しさも和らぐだろうし、そばにいてくれる感じがします。

 

毎日、必ず思い出して心の中で話しかける。

 

そうすれば、きっと聞いてくれています。

 

そして見守ってくれています。

 

大切な人が亡くなることは悲しいけど、いつまでもクヨクヨしている姿を見せるわけにはいけないでしょうから、前を向むいていこう!

 

義父をはじめ、おじいさん、おばあさん、おじさん、幼なじみ、友人の見れなかった未来をこの目でしっかり見て、今を未来を生きますと一言添えて・・・