温泉, 群馬

草津温泉の穴場スポット。白根神社と石碑めぐりの遊歩道

 

草津温泉といえば、温泉街と湯畑が有名ですね。

 

私も草津温泉に訪れた時には、必ず温泉街を散歩し、外湯に入り、湯畑観光をします。

 

でも、いつも同じルートになってしまうので、いつもと違った草津温泉を見ることができないかと思っていました。

 

そんなとき、温泉街の北側にある囲み山公園に白根神社や石碑があることを知り、遊歩道をのんびりと歩いて白根神社の参拝と石碑巡りに行ってみました。

 

まず、西の河原駐車場の会い向かいの東へと延びる道路から、「白根神社元宮門」の看板のある遊歩道入り口がスタート。

 

(わかりずらいですが写真右下の道路を右折)

 

道路から茂みに突入する感じが冒険みたい。

低木が遊歩道に沿って道を開けてくれているようにも感じるし行く手をさえぎるかのようにも感じる。

 

上を見上げれば雑木林の木々からの木漏れ日。

 

標高1000メートルの澄んだ空気。

 

周囲は木々しかない。

 

酸素とマイナスイオンを思う存分体に取り込める森林浴。

 

気持ちがいい。

 

足元はぬかるんでいるところもあり、靴を汚さないように気を付けて進みます。

 

オススメは運動靴かスニーカー。

 

サンダルは汚れます。

 

人工物がない世界は、何だか獣になった気分。

 

と思っていると、「白根神社本殿」左の矢印看板。

 

 

看板通りに進むと、林の中に突如「芭蕉句碑」が現れます。

 

「夏の夜や 谺(こだま)にあくる 下駄の音」

 

天保13年(1842年)、芭蕉の150回忌を修めた草津の俳人一夏庵坂上竹烟(いつかあんさかうえちくえん)によって建てられました。

 

この句は、芭蕉が元禄4年(1691年)に京都嵯峨にいた門人去来(もんじんきょらい)の落柿舎(らくししゃ)で作ったものです。

 

芭蕉の「嵯峨日記」に収められています。

 

門人とは弟子のことですね。

 

落柿舎とは弟子の去来の別荘です。

 

草津温泉は歴史上有名な人物にもゆかりがあります。

 

今この瞬間、偉人たちのゆかりのある場所にいる・・・

 

感慨深いです。

 

芭蕉句碑を眺めて、さらに進むと白根神社の境内に出ます。

 

いきなり境内ですので、参道を一旦、温泉街方面に戻り、手水者で清めて参拝。

 

拝殿の、ひなびた感じが趣があっていいです。

 

目立ちはしないですが、草津温泉を守る神社。

 

神と自然が織りなすパワーは訪れた人のみが享受できます。

 

御祭神は日本武尊。

 

もともとは白根山にあり、この白根山を祀る神社です。

 

明治6年に今のこの地に移りました。

 

そして、現在の拝殿は明治15年に建築され昭和32年に改築。

 

夏は緑に囲まれた空間ですが、秋は紅葉がきれいでしょうし、冬は雪景色できれいなはず。

 

でも、冬は雪や凍結した地面が滑りますので要注意。

 

手水者からは石畳が整備され、温泉街方面からくる場合にも、階段や参道がきれいに整備されています。

 

ちなみに階段は遊歩道の進行方向とは逆方向です。

 

温泉に浸かってから参拝に来るときには、階段は湯疲れした体にはこたえるでしょうから、温泉に浸かる前に参拝に来た方がいいかも。

 

白根神社で参拝を終えてさらに木々の茂った遊歩道を東へと進みます。

 

すると、石碑が木々の中に点々とあります。

 

さて、間髪入れすに、石碑や石塔をご紹介。

 

 

十返舎一九碑

十返舎一九(1765-1831)は駿河の国の人で、元は武士でした。

 

江戸時代、文化・文政の町人文化爛熟期の代表的な戯作者です。

 

東海道中膝栗毛など道中ものを22年間にわたって書き、全国の有名な観光ルートを挿絵入りで面白可笑しく紹介しています。

 

草津温泉には文政年間(1818年-1830)に二度も訪れて上州草津温泉往来などに書き残しています。

 

 

高村幸太郎碑

彫刻家高村光雲の子で彫刻家です。

 

東京生まれ(1883-1956)。

 

渡欧してロダンに学び、また、詩人としても業績を残しています。

 

十和田湖の「女子像」は代表作。

 

詩集「智恵子抄」も有名。

 

草津へは何回か訪れていますが、昭和2年7月には十数日間滞在し、この時「草津」という詩を作っています。

 

昭和8年5月には智恵子夫人とともに入湯して、「智恵子には草津のお湯がいいようだ」と手紙の中に書き残しています。

 

 

六角石憧供養塔

この六角石憧供養塔(右)には、延享3年(1746年)湯本治雄の妻恒子が法華経を信仰して10名の僧侶を呼んで法華経1000巻を読誦(どくしょう)し祖先を供養したことが記されています。

 

左側の宝篋印石憧供養塔(ほうきょういんせきどうくようとう)は湯本治雄が建てました。

 

湯元治雄は草津の名族湯本三家のうち湯本安兵衛の当主。俳諧をたしなむ文人です。

 

 

三峰神社

秩父のさらに奥にある三峰神社の分祀があります。

 

遊歩道から石段を上ると三峰神社の旗。

 

そして小さな社があります。

 

コンパクトですがご利益は絶大なはず。

 

 

三峰神社からさらに進むと終点の鳥居があります。

 

 

(見え方が良かったのでくぐってから撮影)

鳥居は終点でもあり、スタートでもあります。

 

鳥居から進めばスタートですから。

 

囲み山公園東門碑が鳥居の足元にあります。

 

この囲み山公園には西から諏訪神社、白根神社、沼神社、山神、温泉権現、三峰神社、国王尊が鎮座しています。三峰神社は防火、盗難除けとして祀られています。

 

草津には板葺きの木造家屋が多かったため度々大火に見舞われてきました。明治の大火では西の河原入り口の桐屋、地蔵地区細野家と下町が残っただけで他のすべてが焼けてしまいました。

 

その後も大火を何度か体験した先人たちが防火と盗難除けとして秩父神社分社を囲み山公園の東に建立しました。

 

  

鳥居をくぐると木製の橋。遊歩道の終点。

 

下には小川が流れていて見た目が涼しい。

 

 

草津の自然と歴史に触れた遊歩道でした。

 

草津温泉街の華やかな一面も楽しいですが、自然の中で草津の歴史やゆかりのある偉人たちとの時代を超えた空間を共有するのもいいものです。